B-③ 境界性人格
ここでいう『境界』というのは他のカテゴリー間の中間というのではなく、本来の意味は神経症と精神病(特に統合失調症)の間という意味だそうです。
ただ現在は、名前の由来となった両疾患とこの人格を関連付けることはあまり重要ではないようです。
最大の特徴は、大事な人に見捨てられることを過剰に不安がることかと思います。
見捨てられないためには、善良であれば良いわけです。勧善懲悪の善であれば、大抵の人から嫌われることはないでしょう。
これは多少なりとも一般人にも言えることで、勤め人の場合、毎日毎朝出勤して暗くなるまで働く。これ例えば無断欠勤して、快晴の日は釣りに行って、雪の日は朝から酒を飲んで温泉につかる、あるいはこたつで麻雀三昧といった魅力的な(自堕落な?)生活をなぜ送らないのかと聞かれれば、経済的理由とかもあるでしょうけれど、真っ先に頭に浮かぶのは職場の人間に見捨てられる・家族からの信頼を失うといったことではないでしょうか。
学生の場合は親から見捨てられることを避けようとするでしょうし、専業主婦の場合は夫の信頼を失うことを恐れる……かどうか、いまいちその心理はよくわからないのですが……というより、女性の心理状態がわかったためしがないというか……まあそれはともかく、無意識のうちに善良にふるまい大事な人間との関係を維持すること自体は、当たり前の行動と思われます。
ですがこのカテゴリーの方は見離されたくないとする気持ちが強すぎるため、過度に善良になろうとします。別に善の方向にいくなら、過剰だろうが過激だろうがかまわないような気もしますが、問題は人間もともと善のみでは構成されていないということです。遊びたい・さぼりたい・(ストレスから)逃げたいe.t.c.といった気持ちも当然抱えているわけです。
通常は休日や有給休暇をとって発散したり、アフター5に好きなことをしてバランスをとります。
でも、ちょっとでも悪いこと(はたからみて、大したことでなくても)をしたら見捨てられるんじゃないかという不安に凝り固まっていたら、悪の部分は切り捨てるしかない、そこはもう自分(の一部)ではない、としてしまいます。
普通は大酒を飲んでストレスを発散するにしても、次の日に仕事があると思えばおのずと限度というものがあります。
つまり飲んでいる自分も、仕事をしている自分も両方が自分ですから(あたりまえだけど)、それなりに理性的にコントロールするわけです。
ところが、一部が自分であることを拒否してしまえば、そこにはコントロールが及ばない。そうなると体を壊すと解っていて深酒をしたり、薬物を乱用したり、乱れた性生活を送ったりすることになります。
当然、はたからみてそんな人を善良とは思いませんから、人は離れていこうとする。それは大変つらいのでますます・・・・と悪循環に陥ります。
まあここまでいくと『性格』というより『人格障害』になってしまいます(もともと『人格障害』の定義から出発しているのでしょうがないのですけど)。
でも、職場の上司や同僚から見離されるのが怖くて有給休暇がとれないというような方は、一度自己チェックしてみるといいかもしれません。
他人への評価は善か悪かはっきりしています。周りの人を助さん格さんグループと越後屋・悪代官グループに分けてしまいます。
実際には助さんだって非番の時には居酒屋で黄門様の愚痴をこぼしているかもしれないし、越後屋も孫からみれば好々爺なのかもしれません。
ほとんどの人間は良い面と悪い面を持っていると考えるのが常識と思いますが、そのように考えるのが苦手で、○か×か二つの評価しかありません。
また、いままで助さん扱いだった人を急に越後屋よばわりしたりすることがあります。
思い起こせば思春期の頃から数年間は、この人すごいなと思った人にちょっとした欠点が見えてしまうと、180度ひっくり返ってぜんぜんみすぼらしく見え、むしろ嫌いになってしまうようなピュアな?時期がありました。
このカテゴリーの人はそういった考え方を後々まで引きずっているように見えます。
全般的にはいらいらしていることが多く怒りっぽいのですが、非常に良い人に見えるときもあります。どの面と接するか、あるいはどの面に眼を向けるかでその人の感じが大分変わる可能性を持っています。
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